入社前研修

 

内定の予告をしたが、健康診断でB型肝炎の感染が判明したため不採用とした

 

※本事例は、判例等をもとに脚色して作成しています。法知識が正確に伝わるようできる限り努力していますが、実際の事件にはさまざまな要素が複雑に絡んできます。同様の判断が類似の案件に必ず下されるとは限りませんので、ご注意下さい。

 

事件の経緯 

Aさんは、某大学大学院工学系研究科博士課程に在籍し、B教授の指導のもと環境科学の研究に努めています。

 

科学ジャーナリストを目指していたAさんは、B教授に相談したところ、環境問題に関する雑誌を出版しており、代表者がB教授の知人でもあるS社を勧められました。

 

Aさんは、S社の入社試験を受け、平成15年3月31日までに論文審査を終え、専門誌による論文の受理を待つ状態となることを条件として、平成15年度に新卒採用されることになりました。

 

S社は平成14年6月17日、Aさんに対して内定通知書を交付し、AさんはS社所定の入社承諾書及び誓約書を差し入れました。

 

誓約書には「本人の故意または重大な過失により社会の風紀、秩序を乱したときには、内定を取り消されても異議はない」と記載されていました。

 

またAさんは、内定通知の後、試用期間が3ヵ月であること、平成14年10月から2週間に1回、多少の課題が出される2・3時間程度の研修に参加しなければならないとの説明を受けましたが、研究にも支障がないと思い、これに同意しました。

 

その後Aさんは、以下のような入社前研修等を受け、提出課題の指示を受けました。

 

■平成14年10月1日 内定者懇親会

 【内容】入社前の自習や心構えの説明

【課題】・S社が出版する雑誌7種類、書籍4冊を入社前に必ず目を通し、広告関連書6冊及び出版関連書6冊も読んでおく・「当社の事業領域」というテーマでA4版7枚以内のレジュメを10月21日までに提出する・S社主催の「宣伝会議賞」の43課題全てについて1作品以上作成し、11月15日までに提出する・内定者のプロフィールを記載したシートを10月8日までにメールで提出する

 

■平成14年10月23日 第1回入社前研修

【内容】S社取締役による講義、内定者提出のレジュメの発表と講評

【課題】・翌日以降朝刊2誌を必ず読み、興味ある記事をスクラップし、次回以降研修に持参する・「広告業界について」というテーマでA4版7枚以内のレジュメを11月4日までに提出する

 

■平成14年11月6日 第2回入社前研修

【内容】内定者提出のレジュメの発表と論評

【課題】・「出版業界について」というテーマでA4版7枚以内のレジュメを11月30日までに提出する

 

■平成14年11月20日 第3回入社前研修 

【内容】内定者提出のレジュメの発表と論評

【課題】・広告会社上位20社の社名及び社長名を調べて暗記する・雑誌でタイアップ広告を2・3個探しコピーする・主要4媒体以外の広告を調べ、レジュメを作成し12月2日までにメールで提出する・「当社の事業領域」というテーマのレジュメを再提出する

 

■平成14年12月4日 第4回入社前研修

 【内容】内定者提出のレジュメの発表と論評

【課題】・「環境ビジネスの市場分析と今後の展望」というテーマで、「環境マーケティングアンドビジネス」誌における展望と読者ターゲット、宣伝広告主について分析したレジュメを作成し、12月16日までに提出する

 

このようにS社が内定者に与えた課題は、かなりの分量であり、Aさんも課題をこなすため毎日2・3時間ずつを割くことになり、研究との両立は困難であると感じ、B教授に相談しました。

 

B教授はS社の代表に連絡をし、S社に出された課題がAさんの博士論文作成にとって障害になっているため、免除を願い出ました。

 

S社の代表からは了承するとの連絡があったため、B教授はその旨Aさんに伝え、Aさんは研究に専念しました。

 

その後、S社から直前研修が3月26日から3月29日までに行われると、Aさんに連絡がありました。

 

Aさんは、27日及び28日は論文審査の打ち合わせ、29日からは論文審査の練習を予定しており、26日以外の参加は困難です。

 

Aさんは、その旨S社に伝えたところ、S社からは「博士号取得よりも直前研修の方が重要であり、当社への入社を希望するのであれば、直前研修に参加して欲しい。参加できないというなら、4月1日の入社を取りやめ、あらためて中途採用試験を再受験してもらうことになります。」との返答が返ってきました。

 

AさんはB教授と相談した結果、論文審査を延期して直前研修に参加することにしました。

 

直前研修は3月26日から29日までの4日間行われる予定で、社会人の心構え、基本姿勢、ビジネスマナー、電話研修、商品説明ロールプレイ、販売の実務、印刷・写真の基本知識等を内容とするものでした。

 

Aさんも参加しましたが、研修担当者は「Aさんは、積極性が欠け、他の内定者からも浮いており、レポートも良くない。また、研修の進行が遅れがちであった際には『予定通り終わっていただけるのでしょうか?』と発言し、研修の目的・意義を理解していないようであり、場の雰囲気も乱した。」と、研修の3日目である3月28日に、会社に報告しました。

 

そのため、3月28日の研修が終了した後、S社はAさんに対し、研修が遅れているとし、就業規則に基づき試用期間を6ヶ月に延長するか、博士号取得後中途採用試験を受け直すかのいずれかを選択するよう求めました。

 

Aさんは「4月1日に入社しますが、試用期間の延長は受け入れられません。また中途採用になるのであれば、試験なしで入社できるようにしてください。」と返答しました。

 

S社は、Aさんに対し、試用期間延長か中途採用試験の再受験をするかを選択するよう再三要求しましたが、Aさんはいずれの選択も拒否し続けました。

 

そしてAさんは、3月29日の朝、S社に電話をかけて「内定を取り消されたので、今日の研修には参加しませんが、それでよろしいですか?」と確認しました。

 

それに対してS社は「Aさんは、内定を取り消されたのではなく、自ら採用を辞退したと認識しています。どうやらお互いの認識が異なるようなので、出社してお話をさせていただけませんか?」と返答しましたが、AさんはS社が自分のところに説明に来るべきだとのB教授の意見に従い、S社には行きませんでした。

 

Aさんは、3月31日付で、S社に対し、「内定辞退の事実はなく、内定を取り消されたのですが、このような状態では4月1日に出社しても通常の業務に就くことはできませんから、出社はしません。」というファックスと内容証明郵便をS社に送りました。

 

そしてAさんは、内定を違法に取り消されたということで、S社を訴えました。

 

双方の意見は、以下の通りです。

 

本件は内定取消に該当するか

 【Aさん】S社は、私が入社取りやめで構わないと言ったと主張していますが、仮にそのような発言があったとしても、それは使用期間延長または中途採用試験の再受験という二者択一を迫り、いずれも拒否した私に対して、入社を取りやめるしかないと追い込んで言わせたものであって、私の自由な意思に基づくものではありません。

 

【S社】私どもが試用期間延長または中途採用試験の再受験のいずれかを選択するよう求めた際、Aさんからいずれも選択しない場合について質問があり、その場合には入社を取りやめるしかないと回答したところ、Aさんはそれでよいと述べ、内定辞退を申し出ました。

 

内定取消の違法性

 【Aさん】研修への不参加やそこでの態度を理由として、内定取消や試用期間延長といった不利益を課すのは許されません。そもそも入社日前に研修の受講を強制することはできないはずです。

 

【S社】Aさんは、研修を連続して無断欠勤しながら長期間会社への連絡を絶ち、直前研修においても、講師の話を遮って講義を時間通り終えるよう求めるなど極めて非常識な態度を取り、研修の成績も著しく不良であったうえ、これらを踏まえた会社からの試用期間延長などの提案も受け入れなかったのであるから、Aさんを入社させることによる社員の士気の低下や業務の停滞などを防止するため、Aさんの内定を取り消したことは合理的であり、社会通念上相当として是認でき、本件内定の取消は適法です。

 

また、多くの企業は、内定者に対し内定期間中、近況報告、アンケートへの回答、一定のレポートの提出、懇談会への出席、一定期間の実習や月1・2回程度の研修への参加、定期的な出社などを求めているが、本件研修はその頻度や内容において、社会通念上相当として是認できる範囲内にあります。

 

 

さて、この訴えの結末は...

 

労働者側の勝ち:内定取消に該当する事由はない

 

【主 旨】 

S社が内定取消をしたと解釈するべき

 内定取消か、内定辞退かで双方の意見は対立している。

 

しかしAさんは、試用期間延長なしでの4月1日の入社か、中途採用になるとしても試験なしでの採用を求めているのであり、あくまで入社に固執していた。

 

またAさんは、内定取消しとの認識を表明したうえで、3月29日にS社へ内容証明を差し出していることからすると、Aさんが内定を辞退したとすることができないのは明らかであり、3月28日にS社から実質的な意味での内定を取り消す旨の意思表示がなされたとするのが相当である。

 

内定を取り消す場合、解約権留保の趣旨を踏まえなければならない

 一般に内定において解約権が留保されるのは、内定者の資質、性格、能力、その他社員としての適格性の有無について、内定時には適切な判断を行うに足る十分な資料が不足しているため、入社までに調査や観察に基づく最終決定を留保するという趣旨であると解釈される。

 

雇用契約締結に際しては、使用者が一般的に個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあることを考慮すると、そこでの解約権行使は、解約権留保の趣旨、目的に照らし合わせて客観的に合理的と認められ社会通念上相当として是認することのできる場合にのみ許される。

 

つまり、内定の取消事由は、使用者が内定後における調査により、当初知ることができず、また知りうることができないような事実を知るに至った場合において、そのような事実に照らし内定者を雇用することが適当でないと、客観的に合理的と判断される必要がある。

 

入社前の研修を業務命令として行うことはできず、研修に同意しなかった者に不利益な取り扱いをすることは許されない

 一般に、入社日前の研修は、入社後における本来の職務遂行のための準備として行われるもので、入社後の新入社員教育の部分的前倒しである。

 

そして、新卒採用に係る内定者の内定段階における生活の本拠は、学生生活にある。

 

使用者が内定者に対して、本来は入社後に業務として行われるべき入社前の研修を業務命令として命ずる根拠はないというべきであり、あくまで使用者からの要請に対する内定者の任意の同意に基づいて実施されるものと言わざるを得ない。

 

また、内定者の生活の本拠が、学生生活等の労働関係以外の場所にある以上、使用者はこれを尊重し、本来入社後に行われるべき研修によって学業を阻害してはならない。

 

よって、入社日前の研修について同意しなかった内定者に対して、内定取消はもちろん、不利益な取り扱いをすることは許されず、また一旦参加に同意した内定者が、学業への支障という合理的な理由に基づき入社日前の研修への参加を取りやめる旨申し出たとき、使用者はこれを免除すべき信義則上の義務を負っていると解するのが相当である。

 

研修に参加しないことや抽象的な適格性の評価、試用期間延長を拒否したことを理由とした内定取消は違法

 Aさんが直前研修に参加しないからといって、内定取消その他の不利益を課することは許されないこと、論文審査をいつ終了させるかは専らAさんの判断によって決められるべき事柄であり、S社が干渉するべきでないことからすると、中途採用試験の再度受験という不利益を背景として、Aさんの論文審査終了という自律的決定事項に干渉しつつ、直前研修に参加することを求めることは、公序良俗に反し違法というべきである。

 

また、研修講師の評価は抽象的な印象に過ぎず、「Aさんは社員としての適格性や従業員としての能力が著しく劣っており、教育可能性がない。」ということはできないし、他の内定者との間に決定的な違いがあることを示すものではないから、この講師の評価が、内定取消の客観的合理性を示すとは言えない。

 

そして、平成15年3月28日の時点でAさんの試用期間を6ヶ月に延長する根拠はなく、まず入社後3ヵ月の試用期間中の状況を見た後で、さらに3ヵ月間試用期間を延長することも可能であることを考え合わせると、Aさんが試用期間延長に応じなかったからといって、内定を取り消すに足る十分な理由はなく、本件の内定取消は違法と言うべきである。

 

(参考判例)

宣伝会議事件