社会保険労務士法人 HMパートナーズ

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社長の任務懈怠


社長の任務懈怠により会社が倒産し、元社員が損害賠償を請求した。

※本事例は、判例等をもとに脚色して作成しています。法知識が正確に伝わるようできる限り努力していますが、実際の事件にはさまざまな要素が複雑に絡んできます。同様の判断が類似の案件に必ず下されるとは限りませんので、ご注意下さい。

事件の経緯

JT乳業は、牛乳、ヨーグルト、清涼飲料水等を製造・販売している会社です。

平成12年の雪印乳業事件の後、厚生労働省は「加工乳等の製品の再使用については、10度C以下に保存される等の衛生管理がされており、かつ品質保持期限内のものであれば、直ちに食品衛生法上問題とはならない。ただし、衛生管理の状況が不明なものや品質保持期限切れのものが混入していたとすれば、食品衛生法に抵触する恐れがあるので、再使用は厳に慎むよう関係営業者に対する指導を徹底されたい。」との内容の連絡を出しました。

これを受け保健所は、JT乳業に対しても、衛生管理の状況が不明なものや品質保持期限切れのものを再利用しないように指示しました。これに対してJT乳業は、「当社では、外部からの回収乳は温度管理等が確認できないため、品質保持期限内のものであっても一切使用しておらず、回収されたものについては全て廃棄している」旨回答しました。

ところが・・・

平成13年4月23日の午前、顧客から牛乳の味がおかしいとのクレームが寄せられたと販売店のN店よりJT乳業に連絡が入りました。営業係の社員Bさんは牛乳2本を回収し、M部長に渡して検査を依頼しました。

さらに同じ日の午後、再び同じN店からクレームがあった旨の連絡があり、Bさんは5本の牛乳を回収して帰り、これもM部長に渡して検査を依頼しました。

翌24日、M部長とBさんはN店を視察し、会社に状況を報告しました。JT乳業の代表取締役であるYさんは、翌25日からN店への出荷を停止するよう指示しました。

ところが、25日になってもまた、N店から牛乳に異臭があるとのクレームの連絡が入りました。Bさんは、N店に納入済みの全品引き上げを決断し、ライトバンに積み込んで、約2時間かけて会社の工場まで運び、廃棄用冷蔵庫に搬入しました。このライトバンは保冷車ではなく、その運搬の間、回収した牛乳は常温に晒されていました。

そしてその翌日26日、M部長の指示により、この回収された牛乳が牛乳製造の際に再利用されました・・・

27日の正午頃、このJT乳業の牛乳が学校給食に出され、これを飲んだ小中学校の生徒380人以上が吐き気や腹痛を訴え、うち78名が医師の手当を受けました。このことは新聞等により大々的に報道されました。

保健所はJT乳業の本社及び工場を立入検査し、市は食品衛生法に基づき同社の営業を無期限に禁止しました。同社の商品は、各小売店から一斉に撤去されましたが、最終的に同社の牛乳を飲んだことにより食中毒被害者は、合計で421人に及びました。

地元の有力紙には、牛乳を再利用していたことが大々的に報道され、「ずさん体質」「論外の安全管理」等の見出しにより、JT乳業に対する厳しい非難が掲載されました。

結局JT乳業は、5月3日にパート従業員に対して解雇を通告し、また株主総会で解散が決議されたとして、5月17日には従業員全員に対して6月17日限りの解雇を通告しました。

これでは収まらないのが従業員であり、突然に予測もできず職を失ったとし、Y社長を訴えることにしました。

従業員の主張

会社が解散に追い込まれたのは、以下のようにY社長の忠実義務違反が原因である。

クレーム品でかつ常温で輸送されてきた牛乳の再利用は、食品衛生法に違反する行為であること。

にもかかわらず、Y社長はM部長に対し、牛乳の再利用を指示したこと。

仮に指示したという事実が認められないとしても、Y社長にはM部長が再利用することを予見できたので、牛乳の再利用の禁止を徹底すべき注意義務があったしM部長に対し再利用しないように指示、監督すべき義務があったのに、これらの義務を怠り、牛乳の再利用という事態を招いたこと。

Y社長がM部長に対して回収牛乳の再利用を指示していたこと、仮に指示していないとしても、M部長が再利用をすることを予見できたことが、次の各事実から合理的に推理できること。

「JT乳業では、雪印乳業事件までは、返品・過剰在庫・学校牛乳の未利用分の再利用は常態であった」「雪印乳業事件の後も、失敗・過剰在庫の牛乳の再利用を行なっていた」「Y社長は、学校給食の生徒の未利用の牛乳の再利用が可能かどうかと、従業員に聞いていた」「Y社長は、従業員に対し、再利用しなければ給料から差し引く等の発言をしていた」「再利用が行われた前日、Y社長とM部長は社内に残っていた」「全国一般労働組合の地方委員長が電話で『社長の指示のもとではどうしようもなかったのではないか』と質問したのに対し、M部長は反論せず沈黙していた」「会社はM部長に対し、何の処分もせず、退職金も減額しなかった」

Y社長は、JT乳業の代表取締役としてその職務を行なうについて、悪意または重大な過失による任務懈怠があったものであるから、第三者である従業員が被った損害を賠償する責任がある。

被った損害は「定年まで勤務した場合受給したであろう賃金」「定年まで勤務した場合に受給できる退職金と解雇の際に受給した退職金の差額」「いきなり失職の憂き目に遭遇し再就職の目処もたたない状況に追い込まれたことの精神的苦痛に対する慰謝料」である。

Y社長の任務懈怠行為の結果、牛乳の再利用が行われ、この際利用が明るみになった結果、営業禁止命令がなされ、これが原因となって会社は解散し、従業員は解雇された。客観的に見て、牛乳の再利用と会社の解散との間には、相当の因果関係がある。

Y社長の主張

1.自分がM部長に対して、牛乳の再利用を指示した事実はない。また、M部長が再利用をすることは全く予見できなかった。

・4月25日の夜、M部長の報告により牛乳の回収があったことを知り、M部長に対し原因がわかるまで出荷を停止するよう指示した。M部長が再利用の指示をしたことは、4月28日になって初めて知った。

・再利用が明るみになった後、M部長は自分に謝罪したので、自分はM部長を叱責した。M部長を処分しなかったのは、解散するまでそのいとまがなかったし、事後処理にM部長の協力が必要だったからである。なお、M部長への退職金支払は一部保留している。

2.自分が会社の株主総会に廃業、解散を提案し、株主総会がこれを決議したのは将来の営業の見通しと会社維持のための資金投入の損得などを考慮したうえでの判断であって、食中毒の発生が原因ではない。そうすると、自分の注意義務違反と会社の解散との間にも因果関係はない。

3.従業員には何ら損害は生じていない。解雇に伴い解雇予告手当が支払われ、退職金規定により退職金が支払われた。本来会社には従業員を定年まで雇用する義務はない。会社の解散によって、従業員が抱いていた定年まで働けるとの期待が事実上奪われることがあっても、その結果は甘受すべきである。

さて、この訴えの結末は...

労働者側の勝ち:社長は任務懈怠による損害賠償責任を有する

【主 旨】

Y社長がM部長に指示をしたかどうかは、黒に近いグレー

再利用された牛乳は、顧客のクレームにより回収してきたものであり、しかも2時間以上常温に晒されていたわけであるから、食中毒を引き起こす危険があるということは素人でも考えつく。あえてそのような危険を冒してまで再利用を決断する動機としては、牛乳製造経費の節約しか考えられないが、これは一従業員にすぎないM部長よりも、経営者であるY社長が重視する要素であろう。

また、N店から全商品を回収したという深刻な事態であったにもかかわらず、Y社長から何の指示もなかったというのは信じがたい。

そして、M部長がY社長の指示や了解がなく再利用の判断をしたのであれば、その行為は就業規則上の懲戒解雇事由に該当するし、労働者の誠実義務違反として、会社がM部長に対し損害賠償を請求することも可能である。にもかかわらず、会社はM部長に対して、損賠償請求もしていないばかりか、何の処分もせず、退職金の相当部分まで支払済みである。もし残務処理に必要だというのなら、残務処理が終了した時点で懲戒処分を行うこともできるはずである。

これらのを勘案すると、M部長がY社長に対して回収牛乳の存在を報告した際、Y社長が牛乳を再利用することについて、明示もしくは黙示の指示ないし了解が与えられた可能性は相当高いものがある。しかしながら、直接の証拠がないため、その事実を積極的に認定するには、なお若干の躊躇を感じざるをえない。

Y社長には、任務懈怠と相当因果関係のある損害を賠償する責任がある

再利用の取扱いを改め、そのことを従業員に周知徹底する取り組みがなされなければ、会社における再利用の実態が社会問題となり、消費者の信頼を傷つける事態が生じうることは十分予見できた。

したがって、会社の代表取締役であるY氏としては、保健所の指導を契機に、会社におけるそれまでの牛乳再利用の実態を調査、把握し、今後保健所の指導を遵守するための方策に取り組むべき忠実義務があったというべきである。

にもかかわらず、ルーズな取扱いが日常的に続けられていたのであって、このことがこの事件に結びつく一因になったというべきであり、この点についてY社長の忠実義務違反は明らかである。

また、M部長から回収牛乳の存在について報告を受けたY社長は、回収牛乳の廃棄を具体的に指示すべきであった。さもなければ、JT乳業の日常的な取扱いから、回収牛乳を再利用することがY社長の意に反するものではないと判断する可能性があったというべきである。

営業禁止命令と会社の解散には因果関係がある

Y社長の陳述によれば、約6年前から営業不振が続いていたこと、今後営業を続けるために多額の投資が必要な段階にあったことも、会社解散の一要因であったことが認められる。

しかしながら、

・牛乳の再利用を理由に出された営業禁止命令は無期限という極めて厳しいものであり、これにより営業再開の見込が立たなくなったこと

・会社の営業不振は続いていたが、Y社長が営業禁止命令が出される以前に、近い将来会社を廃業することを考えていたことを示す証拠はなく、会社の資産状況に照らし合わせてみても、営業を廃止すべき切迫した状況にあったとは考えがたいこと

・会社解散の決議がなされたのは、営業禁止命令が出された直後であり、この命令が直接の原因であるとしか考えられないこと

などに鑑みると、会社の株主総会が解散決議をした諸要因のうち、最も大きい要因は牛乳の再利用及び営業禁止命令であったと認めるのが相当である。

損害賠償としては、慰謝料のみが認められる

従業員は、牛乳の再利用が行われなければ会社は解散せず、定年まで勤務して賃金を得ることができたのであり、その将来受けることができたであろう賃金が損害だと主張するが、それは次の通り認められない。

まず、牛乳の再利用がなければ、従業員が定年に達するまで営業を続けていたと認めるのは困難である。会社の業績は悪く、いずれは営業を廃止する選択をすることは十分ありえたというべきであるからだ。

また、もし再利用が行わなければ、一定の期間は従業員の雇用が続いたであろうが、その期間に会社から支給されたであろう賃金を損害と評価するのも困難である。なぜなら、会社を解雇された従業員は、交通事故の被害者などとは異なって労働能力には何らの影響がなく、他に就職するなどして給与を得ることができるからである。

ただ、従業員は突然の解雇に大きな精神的打撃を受け、再就職のために奔走したものの希望の条件での就職口は容易に見つからず、人生設計が大きく狂う結果となった。これに対しては、Y社長の任務懈怠と因果関係のある慰謝料が認められる。その金額は、再利用がなければ従業員は、少なくとも相当期間この会社に勤務し賃金を受給でき、実際に受領したよりも多額の退職金を受領できたということを斟酌したものとなる。

(参考判例)

JT乳業事件

 

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