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規則にない賃金カット


就業規則には規定されていないが、業績悪化のため賃金をカットした。

※本事例は、判例等をもとに脚色して作成しています。法知識が正確に伝わるようできる限り努力していますが、実際の事件にはさまざまな要素が複雑に絡んできます。同様の判断が類似の案件に必ず下されるとは限りませんので、ご注意下さい。

事件の経緯

T社は、一般旅客業・自動車運送事業等を目的とする会社です。

T社は、業績の悪化を理由として、以下の通り労働組合と団体交渉をしました。

平成11年8月3日

【T社】

退職金を最大50%増加した希望退職の実施と、全職員の同年9月分以降の固定給を30%減額
          ↓
【組合】

応じられない旨、回答

平成11年8月10日

【T社】

退職金を最大50%増加した希望退職の実施と、全職員の同年9月分以降の固定給を20%減額
          ↓
【組合】

応じられない旨、回答

平成11年8月20日

【T社】

退職金を最大50%増加した希望退職の実施と、全職員の同年9月分以降の固定給を15%減額
          ↓
【組合】

応じられない旨、回答

平成11年8月25日

【T社】

希望退職を受け付ける旨の文書を社内に掲示

平成11年9月8日

【T社】

希望退職者については、固定給を30%減額して正社員として再雇用する。

希望退職をしない従業員については、固定給を15%減額するが、減額後の賃金の下限は、妻帯者の場合は23万円、独身者の場合は21万円とする。
          ↓
【組合】

応じられない旨、回答

しかし、T社は平成14年9月分(平成11年10月24日支払い分)より固定給の15%減額を実施。

労働者側は賃金減額の無効を訴えました。

T社の就業規則の記述

(従来の規程)

乗務員給与規則29条

賃金については、原則として毎年4月、技能・勤務成績・職種を勘案して昇給するものとするが、経営不振その他の業務上の都合により昇給しないこと及び昇給時期が遅れることがある。

(就業規則に新設し、平成13年12月25日に労働基準監督署に届け出)

会社の業績不振、その他経営維持のためやむを得ない事情がある場合には、会社は従業員の賃金を減額する措置を行うことがある。

労働者側の主張

この賃金減額は、就業規則上の規程等の根拠がなく会社が一方的に押し付けたもので、無効であることは明らかです。

また、次のような会社の経営状況を考慮すると、賃金減額を実施する必要性はありません。

(1) T社が営業収支及び経常収支において赤字を計上したのは、この賃金カットが実施された直前の33期(平成10年6月1日から平成11年5月31日まで)の決算だけであり、それ以前の3期はいずれも営業収支、経常収支とも黒字です。

(2)33期の売上高は約10億円であり、1,000万円前後の当期利益を出している31期及び32期と同水準でした。

そもそも33期の営業収支が赤字となった最大の原因は、1億6千万円という過大な減価償却費を計上したことにあります。これは突出して大きな数字です。

具体的内容な不明ですが、早期に大きな額を計上する定率法を採用したこともその一因であり、それだけの経費負担に耐えられる財務状況を維持していることの証拠となります。

(3)賃金減額をした翌年度である34期は、営業収支2700万円の黒字、経常収支も73万円の黒字でした。

またこの期に4300万円の当期損失が計上されたのは、業績不振が原因ではなく、リストラのための退職金8000万円余りを含む9500万円の特別損失を計上したことが原因でした。

なお、平成13年9月にアメリカで発生した同時多発テロ以降、海外旅行を回避する傾向から国内旅行が活況となり、会社の業績が大幅に好転していることからすると、倒産の危機という主張にはますます根拠がありません。

(4)各期の売上高に占める人件費の割合をみると、バス業界46社の黒字を計上している会社の平均値は54.2%であるのに対し、T社は最高値である33期でも48.2%です。

それにもかかわらず経営が赤字であるとすれば、その原因は人件費ではなく、他の原因に対する対策が講じられるべきです。

また平成13年の就業規則の変更は、T社に対して一方的に賃金減額を行う権限を付与するものです。

また、「業績不振」等の抽象的な要件を設定しているものの、このような要件は決算報告書によって容易に操作できるわけですから、T社に対してほとんど無限定に賃金減額の権限を付与しているといえます。

そして、T社が賃金を減額したのは平成11年10月24日であり、この当時このような減額をすることができるとの根拠がなかった以上、その後に就業規則が変更されたからといって、賃金の減額がさかのぼって有効になるわけではありません。

会社側の主張

就業規則及び乗務員給与規則には、賃金の昇給についての規定はありますが、直接減額について触れた規定はありません。

これは、日本の従来の右肩上がりの経済状況のもと、一般的な場合を想定して規定したままになっているからです。

逆にいかなる場合も減額しないという規定はないのであり、経営不振が長期化し、好転することが全く期待できない場合に、賃金切り下げを否定しているとは解釈されません。

会社は、以下の通り経営状況が悪化し、倒産しかねない経営危機の状況下で、整理解雇等の様々な方策のうち、可能な限り雇用を維持して従業員の不利益を最小限にくい止める唯一の生き残り策として、やむを得ず賃金を減額することにしました。

したがって、この賃金カットには合理的理由があり、内容的にも社会的相当性を有する範囲内であるから、有効です。

売り上げ(運賃収入)は、平成11年2月から同年5月については、前年比で13%~30%減少、33期決算においては、当期損失8800万円の赤字を計上しました。

さらに平成11年6月及び同年12月の売り上げについても前年比17%ないし10%の落ち込みで、低下傾向に歯止めがかからず、34期決算においては当期損失約4300万円の赤字を計上しました。

このような急激な売り上げの減少は、

・長期間の景気の低迷により旅客が減少する一方、運輸省が政策を転換して規制緩和策を採用し、航空会社が免許制となって競争が激化したことが発端となり、貸切バス、乗合バス等の旅客運送事業において運賃が急落し、旅客が減少したこと

・旅行取扱業者の経営不振による箱型旅行業者へのしわ寄せ

・廃業バス業者によるもぐり格安運賃営業(人件費を失業給付で賄う)

・免許制から許可制への移行による新規参入業者の増加

・空車となっている乗合バスの流用の増加による少ない旅客の争奪戦・マイカーの増加とレジャーの多様化による若者のバス離れ等

が原因となっています。

一方で、このように売り上げが減少しているにもかかわらず、平成11年4月以降には労働時間週40時間制へ移行し、労働集約型であるバス業界では人件費が20%以上増加し、損益面で大きく経営が圧迫されました。

会社は、平成7年3月以降、役員及び管理職の報酬及び賃金を一部減額していましたが、平成11年3月には旅客業部門につき運用大臣登録第1種から大阪府知事登録の第3種業者に縮小し、採算割れの状態になっている整備部門の外部受注廃止等不採算部門の縮小を図る等してきましたが、それでも同年9月頃には実質的に債務超過に陥り、資金繰りも悪化し、運転資金を一部借り入れで賄わざるをえなくなりました。

しかし、既に16億円あまりの負債があり、新規借り入れは容易には受けられない状態でした。

しかも、3期連続して赤字となった場合には、銀行が融資の一括返済を迫ってきますので、人件費カットをせざるを得ませんでした。

このように会社は、経営状態好転の要素も見出せない状況であったため、労務費増加の最大要因である人件費の見直しをしなければ、経営の再建は困難であるとの観点から、希望退職者の募集及び賃金減額の措置をとり、銀行には人件費の削減による合理化政策を提示するなどしてリストラ資金の特別融資を申し込みました。

それでも会社の経営状態は、希望退職の実施及び賃金の15%減額だけでは改善せず、売り上げが前年同月比で大幅に減少し、損失が累積しています。34期の決算においても、4300万円の当期損失を計上し、累積損失は1億1700万円に達しています。

近い将来においても売り上げが好転する兆しはなく、一定の雇用を確保しつつ企業の維持存続を図るため、賃金減額を継続せざるを得ない状況です。

労働者が受ける不利益は現状においては最小限のものであり、相当な範囲にとどまるのであって、この賃金カットを無効とされる理由はありません。

さて、この訴えの結末は・・・

労働者側の勝ち:就業規則に不備があり、決算にも特段の理由は認められない

【主旨】

規程により明示されていない賃金カットは許されない

賃金は労働契約のうち非常に重要な要素であり、契約の当事者の一方である使用者が、契約の相手方である労働者の同意もなく、勝手に減額することは原則として許されません。

ただし、就業規則において、使用者が労働者の同意がなくても賃金を減額することができる旨の規定があり、その内容が合理的なものであれば、それは労働契約の内容となっていると考えられるから、個々の労働者の同意がないことを理由として、賃金の減額を拒むことは許されません。

しかしながらT社においては、平成13年の就業規則の変更までは、就業規則及び乗務員給与規則上、経営上の理由により一方的に賃金を減額できる旨の明示の規定は存在しなかったのであるから、その前の賃金カットは許されません。

決算数字からも賃金カットを容認する事情は見いだせない

確かに、平成11年5月期である33期の決算においては営業収支及び経常収支とも赤字に転じ、税引前当期損失は9000万円弱に達していることが認められます。

しかしながら、その原因は主に減価償却費と特別損失の影響である。減価償却費は直接的に資金繰りに影響を及ぼすものではないし、定率法による処理のため当初の影響が過大となっています。

特別損失は労働解決金であす。これらはいずれも一時的なものに過ぎないので、賃金カットを継続的に行うことが不可避である理由にはなりません。

また、34期・35期・36期とも、33期に比べれば売上が減少していますが、34期・36期ともに営業収支及び経常収支ともに黒字となっています。

上記データや、労働者側が示した労働分配率のデータ等を併せて考慮すると、賃金カットの実施が容認されるような事情があったとは考えられません。

(参考判例)

東豊観光(賃金減額)事件

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