社会保険労務士法人 HMパートナーズ
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家庭の事情を理由に異動拒否
家庭の事情により異動命令に従わない従業員に異動を強要した。
※本事例は、判例等をもとに脚色して作成しています。法知識が正確に伝わるようできる限り努力していますが、実際の事件にはさまざまな要素が複雑に絡んできます。同様の判断が類似の案件に必ず下されるとは限りませんので、ご注意下さい。
事件の経緯
Aさんは出版社であるM社に勤めています。新卒で総合職として入社し、最初は営業を2年半経験した後、約10年東京本社学習教材部門編集部2課に所属し、小中学生向けの学習教材の編集をしています。
平成14年4月16日、AさんはB総務部長に呼び出され、「大阪支社で人が足りないので、Aさんに行ってもらいたい。転勤については会社が決めることだが、家族等の状況について事情を聴きたい」と打診されました。
大阪市支社は営業の部門のみの支社です。M社の異動対象者の選定基準は、以下のようなものでした。
1.営業経験があり、入社後相当程度年数が経っている者であること(営業経験の長い社員2名が退職したため、営業員を補充する必要性があり、過去営業を経験した即戦力が必要である)
2.将来の適切な人的構成を実現すること(営業に30歳代ないし40歳代の中堅社員がいないので、その世代を埋める必要がある)
3.将来の学習参考書部門営業部の幹部となりえる者を養成すること
(営業幹部となる者には、全国の販売網を把握する必要がある)
4.人材の活性化を図ること
(教材内容の優れた点等について説明して理解を得るという営業活動ができる、編集業務経験者を営業部門に配置する必要がある)
なお今回は、Aさんのほか、2名の社員が大阪支店への転勤を内示されました。
B総務部長の話は次のようなものでした。
「お前が小さい子供がいることや、家を建てたばかりでローンを組んでいることは知っているが、今の若い人たちは皆、小市民的な考え方になっている。もし、親がアルツハイマーとか、面倒を見なくてはいけない状況などで、大阪に行けない理由があれば言ってくれ。」
「これは大抜擢であり、大きなチャンスだ。営業は全国で名前が知られていないとだめだ。晴天のへきれきだろうから、今すぐ返事をしないでよいので考えなさい。」
Aさんは、B総務部長の話を受け、「はい、わかりました。明日返事をします。」と答えました。
翌日の17日に、B総務部長はAさんに、どのような返事であるかを聞きましたが、Aさんは返事を保留し、22日に返事をしたいと返答しました。
しかし22日になると、Aさんは以下のことを理由として、大阪支社への転勤を辞退したい旨申し出ました。
1.二人の子供のアトピー性皮膚炎がひどいこと(3歳と6ヵ月の子供がいるが、二人とも特定の医者に週2回通院している。特に6ヶ月の子はかなり重症である)
2.両親を自宅に引き取ることを考慮していること(父が無職、母はパートだが本年の6月に定年となる)
3.大阪との二重生活では家のローンが大変であること
(ローンの残金は4000万円ある)
また、Aさんは東京本社管轄の職場であれば、どこへでも移動する旨加えて申し出ました。
B総務部長はAさんに対し、役員会での検討の結果、Aさんの状況は転勤を拒否する理由とはならないと判断する旨を伝えました。その際B総務部長は、両親を引き取るなら、まだ60歳であり両親に子供の面倒を見てもらうこともできるのではないか、大阪でもアトピー治療のための治療機関を探してあげる等と話をしました。
Aさんの奥さんは、東京都内の会社に勤めており、外国人顧客の旅行のコーディネートを行う仕事に就いています。この仕事は奥さんにとって生き甲斐であり、仕事をやめることは考えられません。
そのため、Aさんと奥さんは、お互い共働きをしながら、仕事と子育てを両立させるため、相当な努力をしています。
奥さんは朝4時半に起床し、持ち帰った仕事や調べものをしつつ、アトピー性皮膚炎に差し障りのない献立を考えて、家族全員の朝食と弁当を作り、朝食を食べさせ、後片付けをし、7時半頃に通勤します。
Aさんは朝6時頃に起床し、前日に準備しておいた洗濯物を干し、あわただしく朝食を取った後、子供を保育園に送り届けた後、通勤します。
そして、奥さんは午後5時に会社を出て(本来の終業時刻を1時間繰り上げてもらっている)、午後6時半子供を保育園に迎えにいき、帰宅して家族全員の夕食を作ります。
Aさんは、午後7時前には帰宅し、朝干しておいた洗濯物を取り込み、風呂の準備をします。
そして夕食を食べた後、アトピーに差し障りのないよう、特別の注意をして子供たちを風呂にいれ、後片付けをし、掃除機をかけ(埃はアトピーに良くないので毎日必ず掃除機をかける)、子供を寝かしつけます。
ここまで努力をして維持している生活であるにもかかわらず、奥さんに会社をやめてもらい家族一緒に大阪へ転勤するか、Aさんが単身赴任で大阪に赴任するか、どちらかを求められていることになります。
Aさんは納得ができず、再考を依頼しました。
M社としての言い分は、「奥さんの望む仕事が大阪で見つけられないとは思えない。」「Aさんの昨年の年収は770万円であり、ローンの返済額を引いても家族4人の生活には十分な金額である。」「結局Aさん家族の子供の養育が大変なのは、奥さんがわざわざ忙しい仕事に就いているせいであり、転勤命令が妥当かどうかの判断には考慮されない。」とのことです。
B総務部長は「業務命令だから、拒否すれば懲戒にかけるということも有り得る。」と、あくまでも大阪転勤に応じるよう求めました。
Aさんは組合に加入し、団体交渉を行うことになりました。
4月30日及び5月2日に協議が行われましたが、M社は「方針はすでに決まっており変えられない。」と述べて、転勤命令の撤回または一時停止を検討する余地がない旨の姿勢を取りました。
5月7日、M社はAさんに対し転勤命令を発しました。
その後も団体交渉の場は設けられ、会社は転勤に伴う負担軽減のため、引越代の全額会社負担、支度金支給、大阪での家賃の9割会社負担、単身赴任の場合月1回の帰京交通費支給、別途特別に3万円の手当支給等の申し出がありましたが、転勤命令の撤回または一時停止には一切応じませんでした。
Aさんは、転勤の違法性を訴えることにしました。
さて、この訴えの結末は...
労働者側の勝ち:不利益は著しく配転命令は権利の濫用
【趣 旨】
転勤命令については、業務上の必要性が認められる
M社の大阪支社では、もともと一人の営業部員の担当範囲が広く、人員不足気味であったところに、経験の長い営業部員が2名退職したのであるから、大阪支社の増員を行うことを計画したことには合理的根拠がある。
そして、M社が設定した異動対象者の選定要素は、大阪支社の営業力の補充、効率的な人事管理、合理的な業務運営に資するという観点からは、極めて合理的なものである。
したがって、大阪支社の営業部員の状況を背景に、前期選定要素に該当するAさんを異動対象と選定したことは合理的であり、その異動はM社の合理的経営に寄与するものと認められるから、この異動については、業務上の必要性があると認められる。
M社は金銭的な不利益に対しては、相当程度配慮している
Aさんは総合職として採用された者であり、幹部候補生として処遇されていることから、転勤を予定される地位にあるということができる。
そして、M社は転勤の発令に際し、Aさんの転勤に伴う負担軽減のため、引越代全額負担、支度金支給、大阪での賃料の9割会社負担、単身赴任の場合月1回の帰京交通費支給等や、別途3万円の手当を支給することを申し出ており、Aさんが申し出ている不利益のうち、少なくとも金銭的な不利益については、相当程度の配慮を尽くしていると言える。
妻が家庭内に入るのが当然ともいうべきM社の措置は、甘受すべき通常の不利益とは言えない
しかしながら、Aさんに生じる不利益は金銭的なものだけでなく、妻が共働きであることを前提とした育児に関するものである。
Aさんの二人の子供がいずれも3歳以下であり、アトピー性皮膚炎であるから、仕事を持った親一人で対処するのは、肉体的にも精神的にも過酷であり、金銭的な補填では十分な配慮をしたとは言えない。
アトピー性皮膚炎の治療を行うことは大阪でも可能であるし、それを受け入れないのは妻が仕事を持っているからであり、そうであれば予想された通常の不利益として甘受すべきとM社は主張する。
しかし、女性が仕事に就き、夫婦が共働きをし、子供を生んでからも仕事を続けることは、今日の社会情勢においては許容されているし、「子育てという選択をする生き方が不利にならない社会」を目指す政府の取り組みからも、Aさんの妻が仕事を持っていることの不利益を、AさんまたはAさんの妻、どちらか一方が自分の仕事を辞めることでしか回避できない不利益を、「通常の不利益」と断定することはできない。
(両親の引き取りは差し迫った事情ではないし、引き取ることを決めているわけではないから、引き取れないことを不利益として認めることはできない。)
M社の対応は、育児介護休業法第26条違反
育児介護休業法第26条の「労働者の子の養育または家族の介護の状況に配慮しなければならない」という規定は、配置転換を行ってはならないといっているわけではない。
しかし、少なくとも労働者が配置転換を拒む態度を示しているときは、真摯に対応することを求めているのであり、配転命令が既に決まっているかのごとく労働者に押し付けるような態度を一貫してとるような場合には、同条の趣旨に違反し、その配転命令が権利の濫用として無効になることがあると解釈するのが相当である。
M社は、金銭的配慮を講じる旨の申し出はしているものの、転勤命令を再検討することは一度もなく、B総務部長のAさんへの打診の経緯や組合との協議の経緯からすると、Aさんに転勤の内示をした段階で、すでに転勤命令を所与のものとして、Aさんが応じることのみを強く求めていたと認められる。
したがって、M社の対応は、育児介護休業法第26条の趣旨に違反していると言わざるを得ない。
高度な業務上の必要性があったとは言えない
人員不足を補うためには絶対に3名の補充が必要であったわけではなく、Aさん本人のための教育的配慮も相当程度あったのであるから、業務上の必要性が、やむを得ないほど高度なものであったとは言えない。
以上を総合すると、Aさんについて生じている、共働きの夫婦における重症のアトピー性皮膚炎の子供に関する育児の不利益は、通常甘受すべき不利益を著しく超えるものである。
よって、Aさんは、転勤命令に従って就労する義務がないと認めるのが相当である。
(参考判例)
明治図書出版事件
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